「子どもの育ちを支援するしくみ」について一般質問

2月23日の一般質問

2月23日の一般質問

2016年の第1回定例会(区議会)が、2月17日に始まりました(3月25日まで)。今回は予算特別委員会がある会期の長い議会です。私は2月23日に一般質問、3月2日に予算案に対する総括質疑を行いまいました。一般質問では、子どもたちの外遊びの場の確保とまちづくりへの参加について質問しました。

○一般質問の内容

厚生労働省の調査では、児童虐待相談件数は、2014年には9万件に迫り、児童虐待防止法施行前の99年に比べ7.6倍に増加しています。また、子どもの貧困に対する社会的な関心が高まっており、今、子どもが生きる環境として大変厳しい状況にあります。こうした中で、子どもの育ちへの支援には様々ありますが、今回は「遊び場」と「子どもの参加のしくみ」にしぼって質問します。

■子どもの外遊びの場の確保を

初めに、「遊び場」について伺います。子どもの育ちには、遊びに割ける「時間」、のびのびと過ごせる「空間」、一緒に遊ぶ「仲間」、この3つの間(ま)が必要だと言われています。日本公園緑地協会は、現代では、時間は、塾や習い事にとられ、空き地や路地など好奇心を刺激する空間はなくなり、同級生としか遊ばないなど、子どもたちにどれもが足りていないと指摘しています。なかでも、外遊びの経験が減っていることは、以前から問題視されてきています。

当区では1992年からの「中野区長期計画」や、99年の「なかの子どもプラン」で、「冒険遊び場の整備」が計画されていました。ここで冒険遊び場について、少し説明をさせていただきます。

冒険遊び場、いわゆるプレーパークは、「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーに、禁止事項を極力少なくした屋外の遊び場で、1943年にデンマークで始まりました。日本では1979年、子どもの遊びについて実態調査を行った世田谷区の親たちが、屋外よりも屋内で遊ぶことが多い結果に驚き、冒険遊び場「羽根木プレーパーク」をつくったのが始まりでした。次世代育成支援東京都行動計画では、外遊びの環境づくりとして、練馬区・光が丘公園のプレーパークが紹介されています。

当区の計画にあった「冒険遊び場」ですが、2005年の「新しい中野をつくる10か年計画」で目的が廃止され、整備されないまま現在に至っています。

そこで伺います。92年から2000年にかけて、区の計画にあった「冒険遊び場の整備」が実現しなかった理由は何でしょうか。

子どもの発育にとって外遊びは欠かせないものです。創造性を豊かにし、仲間と遊ぶことで社会性を身につけ、体力、運動能力を高め、自然と触れ合う中で感受性を育み、危険回避能力を発達させます。どろんこ遊びや秘密基地づくり、子どもにとってワクワクする外遊びの必要性を否定する大人はいないでしょう。

二つ目の質問です。校庭やグラウンドなどの利用制限の多い場所ではなく、子どもたちが自主的に、創意工夫を凝らしながら、自由にさまざまな遊びが展開される遊び場の確保が必要だと考えますが、区のお考えを伺います。

冒険遊び場を全国に広める活動をしている「日本冒険遊び場づくり協会」によれば、冒険遊び場は現在、全国で約400の実践があり、活動場所の多くが公園です。運営形態は行政との協働で実施しているところが8割近くを占めており、その中には指定管理や委託などもあります。23区では世田谷区はもとより、豊島区、練馬区、新宿区、杉並区に冒険遊び場があります。

冒険遊び場は、場所と人と遊び道具があれば実施できます。遊び道具を積んだプレーカーによる、出張型の冒険遊び場もあります。プレーリーダーと呼ばれる大人が、子どもの興味や関心をひく遊び場づくりに取り組み、学校の先生や親とは違う立場で子どもに関わり、子どもを見守ります。

冒険遊び場づくり協会の調査では、活動頻度では、週5日以上開園の常設型は1割程度しかなく、多くは週1回から2回の非常設型がほとんどです。常設が少ない最大の理由は、プレーリーダーの人件費不足と人材の確保が難しいことがあげられています。

当区においても、2004年に住民のボランティア団体が「冒険遊び場」を立ち上げています。現在、唯一上高田台公園で月4回行われており、年間約600人の子どもたちが参加していますが、人件費や人材の確保の課題を抱えています。

この項最後の質問で2点伺います。上高田台公園で行われている外遊びの事業を継続、充実させるためには、子どもの生活圏にこのような場を増やしていくことが望ましいと考えますが、区のお考えを伺います。

また、地域での子育ちを支援するために、講習会などを行い、地域で活動する人材の育成を進める必要があると考えますが、いかがでしょうか。お答えください。

■子どものまちづくりへの参加について

続きまして「子どもの参加のしくみ」について伺います。今から20年前の1996年、区は、「中野区子ども白書」を発行しています。白書構想開始の時期は、94年に日本政府が「子どもの権利条約」を批准した頃と重なっており、白書の「はじめに」では、「子どもの権利条約の精神が、これからの子どもたちの生活全般にわたって新しい局面を切り拓くことになるのではないかと考え、子どもの権利や社会参加に視点をあてた白書とすることにした」と書かれており、20年も前に「白書」をつくられたことに敬意を表するものです。

この「中野区子ども白書」には、全体を通して「はじめに」に書かれている精神が貫かれており、子どもを「社会を構成する一員」として捉え、「地域のパートナー」と位置づけています。当時としては先駆的な取り組みである、子どもたちが公園のプランづくりに参加するワークショップや、子どもの意見表明の機会として「ハイティーンフォーラム」などを開催し、このハイティーンフォーラムが今も、ハイティーン会議として引き継がれています。

この項一つ目の質問です。「中野区子ども白書」は、当時どのようなねらいでつくられたのか伺います。

当区には、白書発行翌年の97年に制定された「中野区教育行政における区民参加に関する条例」があり、第4条で、「権利の主体としての子どもの参加と意見表明の機会が保障されるよう配慮されなければならない」と明記されています。しかし、せっかくの条例も、認識されていなければ絵に描いた餅ではないでしょうか。

「子どもの育ち支援条例」を持つ兵庫県尼崎市では、「小学4、5、6年生用」、「中学生以上用」の、条例を紹介するパンフレットが市のホームページにアップされています。小学4年生になると全員にこのパンフレットが配布されると聞いています。

そこで二つ目の質問です。参加と意見表明が保障されていることをまずは、子ども自身が知るための学びの機会が必要だと考えますが区のお考えを伺います。

杉並区では基本構想の策定時に、子どもに作文や絵をかいてもらい、「こんなまちにくらしたい」という意見を表明する機会をつくって構想に反映したり、善福寺公園の水路で遊びたい、という子どもからの提案を受け止め、現在子どもも参加するワークショップで水路の基本設計が作られていると聞いています。このように子どもが参加と達成感を実感する経験が、将来、区民の一員であるという責任の自覚につながるものと考えます。

最後の質問です。参加ができる、意見が言えるだけでなく、子どもが、区政に自分の意見が活かされたと実感を持てるしくみづくりが重要だと考えますが、区のお考えを伺います。

当区が「子ども白書」をつくってから20年が経ち、子どもが置かれている育ちの環境がなお一層厳しいものになっている今、再び白書を作る時期に来ているのではないかと考えます。意見として申し上げ、私の質問を終わります。