近づく「政治」と「教育」の距離 —「教育と愛国」上映会から—
今、教科書で起こっていること
かなり遅れての報告になりますが2月23日に立教大学で、ドキュメンタリー映画「教育と愛国」の上映会が開催されました。私は当日スタッフとして受付を担当しながら、映画を鑑賞しました。
戦後初めて教科書に「愛国心」が盛り込まれた2006年の教育基本法改正。当時、教育に関わる友人を始め、私の周りの仲間が強い危機感を持ったのを覚えています。
以降、従軍慰安婦や沖縄の集団自決など、加害の歴史を伝える記述に教科書検定制度という目に見えない力が働き、史実が教科書から消されていきます。
2018年には小学校で、2019年には中学校で、教科外活動だった「道徳」が「教科」になりました。
映画は、道徳の授業風景、歴史の記述をめぐり倒産に追い込まれた教科書出版会社の元編集者、保守系の歴史教科書の執筆者、加害の歴史を教える教育者、研究者らへのインタビュー、安倍元首相の発言などをおさめています。
上映は昼と夜の2回行われ、それぞれの回でトークセッションも開催されました。
以下、ゲストの方々の発言のエッセンスをご紹介します。
宮澤弘道さん(小学校教諭)
教室に「平和」「人権」の言葉を掲げていたら、平和は思想的だと校長に言われた。今教育現場では「平和」という言葉が使いにくい現状がある。
教諭になった頃、職員会議は議論する場だったが、今は変質していて報告の場になっている。議論する場がない。職員会議をやっていない学校もある。
月の残業時間が100時間を超え、抗う力、余力が現場にはない。
一般化、体系化できるのが科学だが、道徳は科学ではない。道徳は、恐ろしい装置。
武田砂鉄さん(フリーライター ラジオパーソナリティ)
放置されたままの日本学術会議の任命拒否問題、広島教育委員会が平和教材から「はだしのゲン」の削除を決めたことなど、映画で語られていることは地続きであり、悪化している。
ラジオで発言したり文章を書いていると、「勇気がありますね」と言う人がいる。褒め言葉で言ってくれているのかもしれないけれど、目の前で起きているおかしなことに「おかしい」と言っているだけ。
アベノマスクに使われたお金を他のことに使ったらどんなことができたんだろうかっていうのは、何かタブーに挑むとかではない。
自分の違和感をどう言葉にしていくかを考えている。
斉加尚代監督
広島では「平和憲法」と言うと思想、政党性を帯びていると言われる。
教育現場では、「ルールを守りましょう」はあるが、なぜルールを守るのか、どうやってルールを変えるのかは問わない。
学校現場は通知ばかりで、先生たちが息苦しくなっている。
「投票に行っていいんですか?」とベテランの先生に聞く先生がいる。
若い人たちには「主権者であることにもっと自覚を持って」と伝えたい。
「生き抜く世の中ではなく、生き合う世の中へ」
映画上映、トークセッションを終えて、想像以上の現実に驚くと同時に本当に怖くなりました。
平和、平和憲法という言葉が教育現場で使いにくいという現実、歴史の事実に向き合おうとしない政治家や研究者。
何より怖いのは、教育現場の政治に対する忖度の効果がじわじわと浸透している今の社会です。
武田砂鉄さんがおっしゃっていた「目の前で起きているおかしさ」を言葉にして発していかないと、私たちは思考することを奪われ、現実はますます悪化していくのではないでしょうか。
斉加監督からは、大阪市の小学校校長が松井一郎市長に送った提言書についてお話があり、その中の一節が紹介されました。
それが見出しの「生き抜く世の中ではなく、生き合う世の中へ」です。
この言葉は、私が生きたいと思う社会の姿と重なり、強く心に刻まれました