「学校」は、もっと自由になれる!

「先生」がいない学校

学校なのに「先生」がいない。そんな学校が実在していることを、このドキュメンタリー映画で知りました。映画のタイトルは「夢みる小学校」。学校の名前は「きのくに子どもの村学園」。区内で子育て支援をしている方から熱烈に薦められた映画ですが、まさに目からウロコが落ちました。

子どもの村学園にも先生はいますが「おとな」と呼ばれています。映画では、学校で当たり前に見る、先生が教壇に立つという風景が出てきません。授業を進めているのは子どもたちです。授業で何をするかを決めるのも子どもたち、社会見学する相手先に電話して交渉するのも子どもたち、遊具を設計して作るのも子どもたち、……。徹底した「子どもが主役」の学校運営に、まず驚きました。

「学校」に対する思い込み

子どもの村学園の時間割の半分は「プロジェクト」と呼ばれる衣食住をテーマにした5つの体験型学習で、子どもたちは自分がやりたいプロジェクトを選んで毎年1年間学習します。1年生から6年生までが同じプロジェクトで学ぶので縦割りクラスになります。プロジェクトでのさまざまな体験の過程が学習そのものであり、成績の序列化もしないので「通信簿」がありません。

これまでの「学校」に対するイメージを覆される子どもの村学園の様子に、「私立だからこんなことができるのだろう」と思いながら映画を観ていましたが、私の考えを見透かされたような展開になりました。

子どもの村学園は文科省の学校教育法に準じた正規の学校法人として知事が認可した学校です。子どもの村学園で行われている、時間割の半分が体験型学習であること、成績表がないこと、縦割りクラスであることなどは、公立学校で行うことが可能なのです。これは私には衝撃でした。「学校」を縛っていたのは実は、私たち自身だったのではないか。今の教育制度の中でも、やりたいと思う学校運営ができる可能性はあるのだと気づかされました。

それは、他の学校が子どもの村学園のようになればいいということではありません。それぞれの学校が思い描く理想の学校の姿に近づくために、やりたいことができる環境は思っている以上にあるということです。

何が「発達障害」をつくるのか?

この映画にはたくさんの忘れられないシーンがありますが、中でも発達障害と言われた子どもが自分について語る場面、堀慎一郎学園長、世田谷区立桜丘中学校の西郷孝彦前校長の言葉は強く心に残っています。

子どもの村学園には発達障害と言われた子どもが何人も入学しています。堀学園長は入学するとき一つだけ条件を出します。それは、医師から処方された薬を飲まないことです。堀学園長は「発達障害と言われた子どもは僕から見たらふつうの子ども」だと言います。

また、西郷前校長は、人間は程度の差はあってもみんな発達障害だ、と言います。今いる環境が障害にならなければ発達障害だと言われないだけだと。この言葉には共感を覚えます。

障害とは一体何なのか。ある基準の成績で子どもを評価したり、子どもを管理しようとすると、評価の枠に当てはまらない子ども、集団に馴染めないような子どもは、管理する側にとっての障害になります。私たちおとなは、目の前の子どもたち一人ひとりをしっかりと見つめ、子どもの最善の利益のために何が「障害」なのか、今の当たり前を疑って考えると、これまでとは違う「学校」「放課後」「地域」が見えてくるのではないでしょうか。

何よりも、映画に出てくる子どもたちの真剣にものづくりに取り組む表情が、いろんなことを教えてくれました。

上映会終了後のトークライブ。白いシャツを着ているのがオオタヴィン監督。「いただきます」シリーズの監督でもある
映画のフライヤー

*参考記事
学校から薬を勧められる「発達障害」の子どもたち 発達障害の児童はこの13年で10倍に増えている